バットマンシリーズに登場するスーパーヴィランであるジョーカーについて描かれた「ジョーカー(原題:Joker)」から早くも5年。
その続編となる 「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ(Folie à Deux)」を見てきたので、まとめてみよう。
注意!:作品の根幹となるネタバレ的なものは極力避けてまとめていますが、まだご覧になっていない、これから見るという方はどうかお控えなさったほうがよろしいかと思います。
できれば、見た後にこのサイトに戻ってきてくれたら、嬉しい…
概要
配給はワーナー・ブラザース。バットマンシリーズを手掛けるDCコミックスを子会社にし、様々な作品を世の中に送り込んだ。
前作の「ジョーカー」は内容の残虐さからアメリカではR指定、日本国内ではR15+指定を受けた。
しかし、そんな内容でありながらも「ジョーカー」は公開最初の週末で北米で9620万ドル、日本では最終的に50億円を超えるなど大ヒットを記録した。R指定映画として史上最高額の興行成績を収めている。
そして評価も高かった。
ゴールデングローブ賞ヴェネツィア国際映画祭、そしてアカデミー賞といった主要な映画賞にノミネート。特に主演のホアキン・フェニックスはアカデミー賞、ゴールデングローブ賞で主演男優賞を受賞。
そんな高い評価を受けながら迎えた第二作目。
綺麗なエンディングを迎えたように見えたジョーカーをどうやって続きを描くのか。そして、新たに登場するキャラクターはどんな風に描かれていくのか。
ある種、監視的な注目を浴びながら「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」は2024年10月4日にアメリカで公開された。
監督
今回の監督は、トッド・フィリップス。
前作の「ジョーカー」で監督を務め、続編となる今回も続投。
主な作品に2009年に公開された「ハングオーバー!(原題:The Hangover)」があり、シリーズとして2013年まで3作を制作した。
先に明かすが、上映終了後にパンフレットを購入した。そのパンフレットの1ページ目にコメントが載っている。続編の制作について、監督はこんなコメントを残している。
2018年に「ジョーカー」を制作し始めた時点では、これほど大きな反響を世界中に呼ぶとは想像もしていなかった。
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥのパンフレット・1ページ目より引用
出演者
主演は前作から続いて、ジョーカー役のホアキン・フェニックス。
2023年に公開されたA24制作の映画「ボーはおそれている」の主演も務め日本国内でも内容が話題になった。
そしてハーレイ・リー・クインゼル役にレディー・ガガが起用されている。
歌手活動の輝かしさは言わずもがな、役者としての活動でも素晴らしい経歴を残している。
2018年に公開された「アリー・スター誕生(A Star Is Born)」で主役と作曲を、2021年に公開された「ハウス・オブ・グッチ(House of Gucci)」でも主役を務めている。
あらすじ
理不尽な世の中で社会への反逆者、民衆の代弁者として祭り上げられたジョーカー。そんな彼の前にリーという謎めいた女性が現れる。ジョーカーの狂気はリーへ、そして群衆へと伝播し、拡散していく。孤独で心優しかった男が悪のカリスマとなって暴走し、世界を巻き込む新たな事件が起こる。
映画.comより引用
前評判
日本での公開よりも先にアメリカでは2024年の10月4日に公開された。
すると、太平洋の向こうから轟いてきたのは賛否両論の声だった。
前作の「ジョーカー」の評価を確認しておこう。
まずは映画評論サイトである「Rotten Tomatoes(ロッテン・トマト)」から
批評家による評価は68%。トップ評論家達が出した評価に絞ると49%に下がってしまうが、ポップコーンメーターと称されるユーザー平均の評価は89%と高い数値を誇っている。
次に映画やテレビ番組、ゲームについて情報を収集しているサイトIMDbもチェックしておきたい。
11万件以上のユーザーレビューが集まっていて、8.4という高評価が出ている。
そして、その内27.5%のユーザーが最高評価の10を付けている。
日本向けのサイトであれば、Filmarksは4.0
映画.comだと3.8という高い数値である。
この評価を見るだけでも前作の人気具合が嫌でもわかる。
前作の高評価の基となった点は、主人公のアーサー・フレックがジョーカーという悪役になっていくという過程がウケた他にアメリカの格差社会を描いた作品としても評価されている所にある。
暴力的で精神的に参りそうな描写が続く中での高評価であった。
では、本題の「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」はどうなんだ?というところだ。
まずはRotten Tomatoesを見てみる。
評論家による評価は33%、トップ評論家達に絞れば28%。
ユーザー評価は33%である。
続いてIMDbへ。
6万3000件の評価平均で10点満点中5.3点。
最高評価の10を付けたのは7.1%。次に中間となる5に付けたのは14%。
そして、最低評価となる1に付けたのは21.3%。
前作と比べれば低いのは歴然。
なぜ、ここまで低くなってしまったのか。
まぁ、人それぞれ、だ。
そんなことを思いながら、私はあまり気にしないように、気にしないようにと映画館へ向かった。
とにかく見る
日本国内の公開日である10月11日の朝8時50分上映開始の回で鑑賞。
朝の通勤ラッシュに揉まれながら自宅から一番近い映画館へ向かった。朝一番のIMAX。観客は4分の1程度だろうか。同時期に公開された注目作品がありながらもこの人数であれば上々な気がする。
映画はアーカム州立病院に収容されたアーサーの姿から始まる。
外では、レイトナイトトークショーの司会者だったマレー・フランクリンを射殺してからゴッサムシティに住む人々が感化されて、不満を爆発させ暴徒と化していた。
そんなアーサーに裁判開始の日が近づく。検事からは死刑を求刑されていながらも、彼にも弁護士が付く。
弁護士からは精神障がいを患っていることを世間に主張するべきだと言われる。
そんな中、一人の女性と出会う。それがハーレイ・リー・クインゼル。
彼女からジョーカーとしての犯罪や人格について尊敬していることを明かされて、二人は自然と仲良くなっていく。
ここまで見ていくと、前作の終わり際にあった暴力性が非常に薄いような感じが否めない。実際に見ていても前作の後半が「激」という表現をするならば、今作の序盤は「静」のような印象を受けた。
これが低評価の原因…か?と最初は思った。
観客が求める「暴力性」がアーサー/ジョーカーから出されない。
じれったくて、モヤモヤしながら作品はどんどんと時間を消費して進んでいく。
またハーレイ・リー・クインゼルに振り回されるアーサーの姿が人には受け入れがたいものなのかもしれない。
いわゆるハーレイ・リー・クインゼルはヤンデレ的な女性であって、それに戸惑いながらもアーサーは大切な女性として付き合い、関係性を作り上げていく。
またミュージカル的な表現が随時出される。それがまた観客と作品側との思いにズレが生じていくような印象があった。
ミュージカル的な、アーサーとハーレイが歌うシーンは個々の精神的・心情的な部分を表す重要なシーンであることは理解をしている。ただ、少し多いか。
ハチャメチャにやってくれるよね…?と思っていた観客たちの気持ちはどこかへ行ってしまうようなやり方な気もする。
作品中盤では法廷でのシーンが続く。
前作では地下鉄、アーサーの住むアパート、ゴッサムシティの中心部などが出てきた。
ただ、今作ではこの法廷がベースとなる。これもまたアーサーの人間性を掘り下げるには十分な場所なのだが、躍動感に欠けて少し期待外れに拍車をかけてしまう。
ここまで書いてみると、結果として低評価の原因は「コレジャナイ」であろう。
「もっと滅茶苦茶にやってくれよ!」と思う人もいるだろう。
ただ、その思いが作品の最重要項目であることに注目したい。
暴力的なのを求める
前作でアーサーは、日本的に言えば冴えない男性が徐々に社会の中で見捨てられていって「無敵な人」になってしまった。
途中で手を差し伸べる人もいない、辛い過去を引っ張り出し精神的にダメージを負い、尊敬する人からは嘲笑を浴びせられてしまった。
人生の底にいる人が更に凋落していき、行き着いた場所で、ある種の尊敬を得る。それが暴力という力によるものだった。
そんな惨めで見ていられないようなアーサーに共感し、どこか期待を抱いた。
暴力をもってして、新たな世界を見せてくれるだろう。それは作品内の人々も、見る側の自分たちもだ。
それが今作ではその凋落から救い出そうとする人々が決して多くはないが、ちらほらと出現する。
前作にいなかった手を差し伸べる人の存在に気付いたアーサーはジョーカーに気持ちが振り切れず、情緒や性格に不安定さが出てくる。
少しだけ人と打ち解けそうになる。少し気が楽になりそう。
ただ、ジョーカーとしてアーサーを慕う人たちは思うのだ。
そんな姿、見たくはない。
人の気持ちなんて関係なしに破壊と暴力によって突き進むあの姿が好きなんだ、と。
その人々の存在が更にアーサーに不安定さをもたらしてしまう。
アーサーは最後の最後まで、ジョーカーかアーサーか、その狭間に立ってなんとか持ち堪える。
ジョーカーを慕う人々はアーサーの弱さを求めていない。でも、アーサーはこの弱さを認めてくれる人が近くにいてほしい。
ただ、アーサー自身もまた暴力の波に飲み込まれていることで自分が自分じゃないと自覚する。
今作ではアーサーの抱く弱さとジョーカーの抱く暴力的カリスマ性という釣り合わなさに揺れ動く姿が、本来ならクローズアップされるはずだったような気がする。
ただ、それもまた暴力的なものを求める人々にかき消されてしまった。というところだろうか。
最後に
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」個人的には面白く、また最後の場面からエンドロールに掛けて体を動かすことができなかった。
ぜひ最後のシーンまで集中力を保ってほしい。
パンフレットも買ってしまった。お値段は900円。今回、観に行った映画館では前作のパンフレットも同時発売されていた。もし、前作のパンフレットを買ってない人は買ってみるのもいいだろう。
パンフレットには監督・出演者のインタビューの他に著名人によるコメントも掲載されている。
また、IMAXで鑑賞すると入場特典としてA3サイズのポスターがプレゼントされる。
なので、大きめのバッグを持っていくことをおすすめしたい。自分は少し入り切らず、リュックサックにポスター直挿しという、古の秋葉原オタクスタイルで帰宅することになった。ぜひ、そこは注意していただきたい。
さて最後に、今作のタイトルにもなっている「フォリ・ア・ドゥ」とはどういう意味だろう。
感応精神病、またはフォリアドゥ。
フランス語でFolie à deux、二人狂い。
一人の妄想がもう一人に感染し、複数人で同じ妄想を共有することが特徴である
Wikipedia:感応精神病より引用
ジョーカーとジョーカーの暴力性に狂わされたハーレイのことを指すのか、それともアーサーの存在を超えてジョーカーとして好きなハーレイとなんとか心理的に繋がろうとするアーサーという二人を指すのか。
はたまた、そこに見る側である自分たちがいるのか。それは、どうだかはわからない。