みんなどこに行ってしまったのだろう、東京の大晦日。New Year’s Eve in Tokyo

みんなどこに行ってしまったのだろう、東京の大晦日。New Year’s Eve in Tokyo

12月31日大晦日。東京駅から丸の内へ、そこから官公庁が立ち並ぶ霞が関へ。最後に虎ノ門と新橋を闊歩する。

みんなどこに行ってしまったのだろう。僕は何もかも2024年のままだというのに。

丸の内

東京駅からオフィス街の丸の内へ向かおう。奇跡の9連休だとかなんだと言っているけど、僕には関係ないのだ。
東京駅の丸の内中央口の改札を出ていくと、外国人観光客を中心に多くの人達が東京駅の駅舎に集まっていた。別段イベントがあるわけでもなく、駅舎を撮影したり、何気なく日向ぼっこをしていたりと様々だ。

東京駅前

その人集りを抜けて、丸の内へ足を向ける。この日は雲一つもない快晴。

ビルに当たる日の光は少し目に刺さるほどだ。

通常であれば人が行き交っているであろうビルの隙間。そこには誰もいない。そして、上空を覗き込めばビルがこちらを見る。

陰影が濃くはっきりとしている。空にまでビルが突き刺さりそうだ。

途中で地下鉄の大手町駅へを通る。エスカレーターは一休み中だった。

また地上へ出る。ビルがビルに影を送り込む。

途中で箱根駅伝のスタート箇所である読売新聞ビルの真横へ。スタートまではまだ48時間以上残っている。

丸の内を歩いていると別に人とすれ違うわけではないので、空を何度も見上げる。ビルの壁と空がくっつかんばかりで、空とビルの境目が曖昧だ。

普段は見れない姿だ。いや見つめるつもりもないほど、周囲を気にかけられないほど、いつも何かに気を引っ張られていると気付く。東京の中心地はいつもこの姿を見せてくれているのに。

皇居

少し足を伸ばせば皇居へ出る。皇居周辺は丸の内と異なって交通量も人の行き交うのも激しい。だから、自然と視線が上に向いてしまう。生き残った紅葉が笑ってる。

5つ星ホテルのパレスホテル東京。和田倉濠という堀があるのだが、その上に白鳥。静かに毛を繕っている。カメラを数分構えても、一度も顔を上げない。カメラから顔を離すと上げるという人誑しだった。

日比谷濠から見える景色は役者が憧れる帝国劇場が見える。のだけども、どれがどれだかわからない。東京の中にいると東京が大きすぎて東京がよくわからなくなる。

お祝いごとに相応しい名称だ。

官公庁が立ち並ぶ霞が関。平日であれば人が忙しなく歩いているはずの歩道も、今日は少しだけ落ち着き払っている。

東京メトロのマークと霞が関駅の看板はやってくるのかわからない乗客を待ち続ける。

虎ノ門

道路を見渡せば人はどこかへ行ってしまったのだろうか。道路の上を通るのは陽に暖められた風のみ。

ビルとビルの隙間。イチョウが照らし出されている。

影に染まった道路。みんな、東京を脱出してしまった。みんな、どこに行ってしまったのだろう。

それは自分にもわからないし、あなたにもわかるのだろうか。

忙しなさを失った寂しい東京の真ん中。でも、寂しさを持ち合わせても、あと数日すればそんなのも忘れっちまうよ。

本当にどこにいってしまったんだ。みんな、2024年を置き去りにしてさ。

自分を見つめるのは「止まれ」だけ。あなたも東京に置き去りにされたのかい。

年末年始休みのバー。酒の匂いが広がるあの瞬間が好きだというのなら、今は少しつらい時間だね。僕にはわからないけどさ。

新橋

サラリーマンの聖地である新橋。ヨレヨレのスーツを着た人、スマホを見つめたまま未来があると思っているワイシャツ姿の人。そんな人も消失してしまった。

赤を灯す信号。今日も君は仕事か。

人がいなくなった東京で息を吸う。

2024年で掴んでしまった期待も不安も、燃えるゴミに捨てられないまま明日、2025年にジャンプする。