今回は7月8月に行ったけど、「ただ旅行で撮った写真」や「記事で使わなかった写真」加えて「記事内で使った写真で特に好きな写真」をお送りしたい。
別に何らかのテーマがあるわけではなく、ただただ画像の羅列が続く、一種の写真集だ。
世間からうんともすんともなかったけど、自分はスゴく良いと思った写真達。これらを夏の詰め合わせとして御覧いただきたい。
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この写真の好きなところは座席のモケット・布生地の青さが外から差し込まれる日光によって色合いが異なる部分が表現されているところ。照明ではなく外の純粋な明かりだけで作り出される空気感を閉じ込めたような。そんなところか。
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猛スピードで駆け抜ける東海道新幹線の車内から青空が広がっていたので適当に撮ったもの。新富士近くを走っていたので製紙工場が連なっていた。その上にモクモクと雲が広がり、適当に3枚。煙突の赤が映えると思えば、今度は雲が轟かせる白さが優勢になり、青空の青がまた一歩出てくる。そんな違いを実感できる写真。かなぁなんて。
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7月上旬、宮城県仙台市の定義如来 西方寺を訪れた際の写真。
1枚目のバスの写真は運転している感じと前を走るバスに集中している感じを表現できているような気がする。
またドライブですれ違う看板にふと目を向けるあの感じが写真の中に残っているような。
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その後、松島海岸へ。一度訪れた際には土砂降りの松島だったので、初めて晴れた中で観光することができた。
遊覧船も乗りたくて乗ったら暑かったのを覚えている。塩釜行きの看板は何気なく撮ったけども、フォントとかボケ感とか、自分で見た景色の切り抜きの感じに覚えて個人的には好きな写真だ。
また遊覧船のスタッフさんがじっと船が停泊するのを待っている姿が「仕事人」という感じがして好きかなぁ。
あとカモメ(カモメだよな?)が飛んでいて、それを船内で撮る。「うまく撮れてないだろ」と友人に言われ、確かにうまく撮れてないけども「なんだか好き」なんだ。というか、そういうストライクゾーンど真ん中という写真を自分は撮れないんだなって思っちゃうわけで。
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高校野球の西東京大会の決勝。1枚目は神宮球場の照明と空の広さを表現したくて撮ったやつ。当日は35度、肌が痛くなる暑さだった。その下では甲子園へ行くために戦う球児がいる。
2枚目は試合終了となるセンターフライを取った瞬間がたまたま撮れた。本当はキャッチした選手をズームで撮れれば良いんだろうけど・・・空間全体を撮れたからまぁ良いとしよう・・・
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東海道新幹線だけでなく、電車のデッキに立って見える景色って何だか儚い気がする。ビュンとすっ飛んでいく景色の先には人がいて、その人はどこかでまだ生きている。でも一生交わることはない。それなのに、見える景色は一々綺麗なんだから参っちゃうよ。
2枚目は東田子の浦駅からすぐの所に海があり、ここを超えれば海が・・・というところ。海の音が聞こえてきそうな、でも空は黒く澄んできていて、どこか風が強そうで・・・と当時の思い出を直ぐに頭の中にぶり返すことができそうなこの写真が良い。
3枚目は由比駅から歩いて5分ぐらいの所にあった細路地。記事内では神社の存在について取り扱ったが、YouTubeではバッサリカット。でも、こういう細路地も人の動きがあるからこそ形成される、この感じがたまらなく良い。
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豊橋→浜松を移動中に弁天島で途中下車をして撮った写真。やっぱり綺麗な景色に惚れ惚れする。
自販機にコーラと書かれているのに気付いた。この些細な可笑しさを受信できるアンテナが自分にあって良かったなぁと思える写真だ。
ちなみに弁天島の記事は後日ご紹介する予定でアリンス。
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これは盛岡→秋田へ移動中に撮ったやつ。秋田新幹線が通る田沢湖線が見える。いつも乗車しているだけの秋田新幹線を俯瞰で見ると、周りは木々ばかり。心ぼそいよなぁって。
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InstagramやXで見られる綺麗な景色って、確かに綺麗なんだが、「綺麗」で終わっちゃうところがある。なんというか、表面的な部分しか見られないような。みんな中身は気にしない。綺麗な女性、イケメンな男性を見るのと一緒で色合いがカラフルだとか光の入りがどうとか。
でもそれら全て計算され尽くしているような気がして・・・自分はあまり得意じゃない。いや、綺麗だなとは思うんだけど、それを積極的に摂取したいかと言われると・・・なんか違う。
かと言って自分の写真はその枠を超えるほどに綺麗か?と自問自答すると・・・まぁ違うよなあっては思う。
昨年、このサイトを始める前に紀伊國屋書店で「ソール・ライター」の写真集を見つけた。
立ち読みをして、中身を覗いた。驚きだった。
SNS全盛期、どの角度でどの設定を使えば綺麗になる!という面倒なマニュアルが燃やせないゴミのように積み上がっているこの世の中でソール・ライターの写真は自分に幾ばくかの影響をもたらした。
ニューヨークという大都市で人が見る一瞬の流れ・時間・感情を切り抜いたような写真。それがたまらなく良くて、たまらなく感情にぶっ刺さった。
そういう写真を撮っても構わないことに衝撃があった。
でも、この記事に写っている写真たちには価値はない。残念だけど。自分がもっと何らかの形で世間の人たちに名が知られるようになったなら、この写真たちに価値を付加させることができる。でも、それは・・・あり得ない話だ。
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夏が終わる。とは言ってもまだまだ東京は30度を超える毎日が続く。でも、2025年の夏はゆっくりと終わりが近づいている。
この記事が2025年の夏をいつでも味わえるようなものになっていたら嬉しいが・・・まぁ難しいか。
