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目次
さくらモール・とみおかへ
夜ノ森駅周辺を後にして「さくらモール とみおか」へやってきた。
さくらモール とみおかは富岡駅から歩いて10分程度の所にある。近くには国道6号線が通っていて、交通量は富岡町の中でも多めである。
ここ「さくらモール とみおか」にはスーパーマーケットのヨークベニマル、ホームセンターのダイユーエイト、ドラッグストアのツルハドラッグが出店。
ちなみに2011年の震災発生時にもヨークベニマルは同じ場所に店舗を構えていた。
Googleマップの機能であるストリートビューで過去の画像を見ることができる。
2013年の画像では駐車場に雑草がコンクリートを抜けて映え出しているのが見える。
現在のさくらモール とみおかには無い、マクドナルドやケンタッキーの看板を確認できる。
Google ストリートビューより引用:画面の左にマクドナルド、中央にケンタッキー(KFC表記)の看板がある。
2015年に変えると、駐車場には大量のトラックが駐車されていて、多くの作業員の人達が集まっているのも確認できる。
営業時間は19時までと短さは否めない。ただここは単純な買い物ができる場所では無く、富岡町に住民が戻ってくるまで耐え凌いだ。まるで遺跡のような場所であることを忘れてはいけない。
ラーメンを食べる
お店の中へ入り、ヨークベニマルの方へ向かうとフードコートがあった。
そこでは定食を提供する「いろは家」、カレーと餃子に弁当を発売する「さくら屋」、ラーメンの「浜鶏(はまど〜り)」の3店舗が店を構えていた。
当日は「いろは家」と「浜鶏」の2店舗が営業中、今回はラーメンをチョイス。
いわき市内にも店舗があるという浜鶏。
メニュー表の中でも大きく表示されている「浜鶏ラーメン」がおすすめのようで、今回はそちらを頂く。
食券機で購入し、店員さんに食券を渡す。
ラーメンのお値段は850円。
塩味のスープが自転車を漕ぎ続けた自分の体を潤す。味はちょうど良い濃さで後味がさっぱりとしている。
鶏ガラと鶏チャーシューがほろほろと柔らかく麺と合う。
ちなみに大盛りは100円。
ラーメンの他に鶏チャーシュー丼や親子丼もあるので、ラーメンのお供に食べてみたい。
フードコートの混雑具合は昼の13時を過ぎた辺りということもあって、そこまで混んでいるという印象はなかった。ただ定食を黙々と食べ続ける人が多く定期的な利用者は多いと伺えた。
ラーメンでお腹を満たしたなら、最後の目的地へ向かおう。
目的地はさくらモールの真横にある。
東京電力廃炉資料館へ
今回の旅の根幹部分である「原発事故を知る」こと。これらを満たしてくれる場所が富岡町にある。
福島県富岡町と福島第一原発の事故について調べていると、何も知らない自分がGoogleマップで何気なく見つけたのが「東京電力廃炉資料館」だった。
福島県で発生した福島第一原発事故を管理・運営していたのが東京電力であることは周知の事実。
発生当時も現在でも東京電力には厳しい目が向けられているわけだが、その東京電力が廃炉へ向かっていることを知ってもらうべく作った資料館となる。
場所は道路を挟んでさくらモールと隣り合っている。信号を渡ってすぐのところだ。
資料館は外から見ればメルヘンチックな作りに見えて、テーマパークのキャラクターが出てきてもおかしくなさそうな雰囲気を感じた。
原発事故は多くの避難者や被害をもたらしたわけで、廃炉資料館に似つかわしくない建物だな。というのが率直な思いだった。ただ、このようなデザインになった理由というのは調べればすぐにわかった。
この廃炉資料館は今回の事故を受けて新しく建造したものではない。
震災以前は「福島第二原子力発電所 エネルギー館」として利用されていた建物だった。
資料館付近のストリートビューを見てみると最古のデータである2013年の画像では「福島第二原子力発電所 エネルギー館」と表記されているのがわかる。
建物のモデルは、アインシュタインやエジソンといった人物たちの生家だという。
1988年の開設以来、子どもたちに科学に触れてもらう場所として、富岡町に住む人々の憩いの場所として長らくその場にこの建物は立っていた。
その後、2010年に原子力発電所の仕組みや安全対策について学べる場所としてリニューアル工事がなされている。
ただ2011年に原発事故が発生してしまい、建物の内部は様変わり。現在に至るということだ。
東京電力が発表したエネルギー館のリニューアルについてのお知らせが現在でも確認できる。
この建物は本来の用途から離れて、原発事故の反省と贖罪、廃炉へ向かう物語を人々に見てもらう場所として生まれ変わった。
ここもまた原発事故によって影響を受けた建物だということは頭に入れておきたい。
資料館の中へ
*資料館内部の撮影は一部可能ではあるものの、撮影禁止のものも多く、撮影に不向きな場所と判断したため、内部の画像はありません。予めご了承ください。
資料館の入口を通ると複数人のスタッフの人が入口で待っていた。
自分が入ってきたことがわかると、百貨店の開店のごとく「いらっしゃいませ」と頭を下げられた。
受付に「お一人ですか?」と聞かれ、「どちらかいらっしゃったか、こちらにお書きください」とアンケート用紙を出された。
内容はどこから来たのか?という簡単な内容だった。福島県外から1人と書き込む。
すると係の人から「もう少しお待ちいただけますと、案内ガイドが説明するツアーと合流できます」と説明される。
廃炉資料館ではガイドさんによる説明付きのツアー形式で中を見て回ることができる。
ツアーを利用しない自由見学というのも可能のようだが、「ツアーの方が優先になります」と説明を受けた。
自分の推測ではあるが、資料館が持つ特性から一般人は簡単に理解することはできない。それに加えて、事故の原因と進捗具合を深く知ってもらうためにも東京電力が用意した内容で見てほしいからだろうか。そんな風に感じた。
すぐにツアーが開始されるということだったので、相乗りさせてもらうことにした。
ツアーに関しては長期休暇時期になると満員になってしまうこともあるようだ。もし、行く時間が明確なのであれば予約したほうが良さそうだ。
反省と贖罪
ツアーに参加したのは自分を含めて7人。全員が男性だった。
ガイドさんは若い女性の方だった。
ツアーはおよそ1時間程度、時間の都合上すべてを回ることは出来ないことを言われる。
ツアーが開始されるとフロアマップを使って資料館の説明を受ける。
建物は2階建て。フロアマップの説明が終わるとすぐに2階へ移動しシアタールームへと入る。
シアタールームでは地震発生時では福島第一原子力発電所がどのような状況だったのか、そしてその後どのようにして水素爆発に至ったのかを説明する映像を見る。時間にしておよそ7分から8分程度だ。
この時の映像に2024年3月という文字が表示されているのに気付く。
資料館では現場の最新状況を伝えるために定期的に展示内容を更新しているという。その後の展示でも2024年現在という文言を何度も見かけた。
映像を見た後すぐ、原子力発電とは何か?という説明を受ける。
当時のニュースで見た燃料棒・燃料棒集合体の説明を受ける。映像を見た後すぐに補完的に説明を受けるため、一気に理解度が深まる。
更に移動をすると、事故発生時の中央制御室を模したゾーンへ移動する。当時、原発内ではどのような対応に追われていたのか、また隣接する福島第二原子力発電所は第一原発のような被害がなぜ発生しなかったのかということを映像とガイドさんによる説明を受けることになる。
ちなみに、とある映像コーナーでは原発事故の対応をしたという人の映像を見ることが出来た。当時の関係者を公にするというのもまた東京電力にとって、当事者でありながら顔を出すというのは中々に勇気がいることだと思う。
1階へ移動すると、現在でも行われている処理水放出についての説明がある。処理水というのがいまいちわかっていなかった自分でも理解が出来た。
また、燃料取り出しについて富岡町へ向かった当時では、取り出し装置の取り付けにミスがあったというニュースが先日明らかになったばかりだった。
それについてガイドさんから説明がなされ、謝罪もあった。
ガイドさんが謝罪することなんて無いのに…と憐れんでしまうほどに最新の情報には敏感のようだ。
ツアーの最終盤。廃炉作業を行う現場の最新映像を大きなスクリーンで紹介してくれるコーナーがある。
廃炉作業が進み1〜4号機の工事が進んでいること、第一原発近郊の地域では工事が進んだことで線量が下がっていることなどを説明される。
そして、特に個人的に驚きだったところがある。それは、原発近くでは放射能に対応する防護服を来ているイメージが長らくあったが、現在では場所によっては一般的な作業服を着て作業しているということだった。
古い情報しか頭に入っていなかった自分には衝撃的だった。それだけ進んでいるんだ、ということに。
また、作業員の人たちに食堂を提供していること、作業員の中には女性もいて活躍していることも初めて知った。
ここまでの流れで所々で東京電力側からの反省を見ることになる。
東京電力廃炉資料館への一部の意見について
東京電力廃炉資料館内では「津波が発生すること、被害を受けることを想定外だった」という形にはせず、事故を発生させたことへの反省とこれからの贖罪を背負って廃炉へ取り組んでいく。という内容を随時見かけた。
ただ、この反省が一部の人から「反省をしています感」を感じて不快に感じる。という口コミをインターネット上で見かけることがあった。
自分の考えからして、全ての人がこの場所の存在を好意的に受け止めることは不可能に近いと思っている。この先、何年掛かるか不明なゴール「廃炉」という結果を得られたとしてもだ。
東京電力が事故発生当時に行った行動には責められるべきポイントは多数存在するだろうし、それを積年の恨みとして抱いている人たちの気持ちというのも理解ができる。
ただ、事故が発生し住民の多くが避難し、現在でも決して復興とは言い難い状態の富岡町にこの資料館を構えていることに東京電力側の強い反省というのを感じる。
潔いほどに自分たちが怠っていたところを明らかにする東京電力にはある程度の評価があっても良いような気がする。
ノンフィクション作家が原発内部へ侵入し、悲惨な状況を伝えたルポルタージュを見たことがあった。現場の環境は劣悪、働く人達は捨て駒のように扱われていて、どれもこれも現実味を帯びていないようなものばかり。それこそ、フィクションじゃないと話が片付かないようなことばかりだった。
恥ずかしながら、自分は情報をそこからアップデートをしてこなかった。センセーショナルな映像や画像、コメントばかりに注目していた。改めて、この資料館に来れて良かったと思う。
原発事故の発生によって信じられなくなった、何もかも懐疑的な見方をする人も多くなった。
東京電力が背負っていくものの中には、愚直に現在の状況を知ってもらい続けることも含まれている。それならば、自分たちにもまた情報を選別して知る必要があるような気がするのだが、どうだろう?。
富岡駅で仙台行の特急に乗って町を去る
資料館を出たのは15時ちょうど。富岡駅には15時46分に仙台行の特急がやってくる。自転車に乗り込んで、駅へ向かう。特急の乗車前にレンタサイクルを返却する必要がある。
返却前に寄っておきたいところがある。
それは駅近くの海だ。
富岡駅すぐのところに海へ伸びていく橋を見かけた。そこが気になっていた。
自転車を飛ばして、橋へ進んでいく。
橋を渡って、国道6号線沿いに出る。
国道沿いにある歩道へ出ると太平洋を一望できる。
広々とした地と青々しい海と雲から覗く青空。当日は海も落ち着いていて、静かな波が海岸にぶつかっている。
この海から震災当日は何もかもなぎ倒し、破壊した津波がやってきたことが信じられない。
車通りが少なく波の音と自分の吐息だけが聞こえた。
レンタサイクルを観光協会に返却、あとは特急を待つのみ。
富岡駅にはJRの指定席券売機が設置されている。ここで特急券を購入することも可能だ。ただ、1台しかないのと操作について説明をしてくれる駅員さんもいない。特急が来る直前に操作するのは焦りもあって難しいと思うので「えきねっと」などのサービスを利用して特急券は確保しておきたいところだ。
また、富岡駅周辺にはコンビニがない。自動販売機が駅改札付近には何台かあるが、食べ物は売っていない。
少し離れた場所にある「ローソン 富岡小浜店」かさくらモール とみおかのヨークベニマルで買い物することをオススメしたい。
15時46分には品川行も仙台行も同時に富岡駅を発車する。
当日は仙台行が5分遅れ、品川行は定時で到着していた。
品川行のホームはスーツ姿の人、キャリーバッグを持っている人と乗り込む人が多かったのに対して、仙台行は自分以外に乗り込む人は5人程度だった。
また新たな姿を見れれば
特急は5分遅れで発車した。
そして、すぐに夜ノ森駅のホームを通過して仙台へと向かっていく。新たな発見と虚しさを感じながら。
富岡町は地方特有の人口減少の問題に加えて、原発事故による被害も抱えている。これらを解消するには長い年月と理解が必要だ。
ネット上で見かけた「実態を広く知ってもらいたい」と原発事故について投稿をし続ける人は「原発事故を悲観的に捉えて、事故前の姿が戻ってこない」と思っている。そして、それに同調している人が多く何もかも信じられないまま、自分の体に合った情報だけを入れ続けている。
ただ、そんなことを気にすることもなく町に住む人々は過去の事を理解し、それを深く受け止めて新たな街作りを続けている。飛んでくる嫌な目線と言葉に憚れることもなく。
今回の旅で思ったことは、その違いだろうか。
乗り込んだ特急の窓から陽が差し込んできた。町にいた時までは顔を見せてこなかったくせに。