東京は10月の中旬に入っても30度近くの夏日があった。夏はいつまで続くんだ。そんな声が聞こえてきた。
まだ夏の残り香がするなら、聞いてくれやしないか。大人になりきれていない僕の「夏の大冒険」を、さ。
お盆休みで実家へ
数年ぶりのお盆休みを手に入れた。仕事がたまたま落ち着いて世間と足並みが揃った。
ここ最近はコロナ禍ということもあったが、毎年8月は仕事によって忙殺され続けた。
久々に手に入れたお盆休みは体に染み込まない。羽田空港から飛行機に搭乗するときに、混雑の中にいる自分がどこか信じられずにいた。それでも自分はお盆休みに浸る。
実家に着いた後は世間と同じくお盆休みを貪った。母親の手料理を食べて、テレビの向こうで繰り広げられている甲子園をエアコンの風下で浴びながら観続けて。大人になって久々のお盆休みは子供時代の夏休みを凝縮したような単調なものだった。
とある日に友人宅へ遊びに行った。古くからの付き合いのある奴らと共に夜遅くまでゲームをしたり酒を飲んだりとしていた。そして、自然と友人宅に泊まることになる。
酒が静脈を通り始めたとある時に「最近の話」になった。最近はどうよ。と自分が聞く。
すると、とある奴が口火を切った新しい車を買った。と言った。この前まで乗っていた車のローンが払い終わり、丁度新型の車が出たからそれに乗るというのだ。
そこから勢いが出始めた。もう一人は、「子どもを作ろうと思ってる」と言った。最近結婚して、やっと落ち着いてきた。だから、子どものことを考えている。というのだ。
そして最後にもう一人が。「転職を考えている」と。もっとやりがいのある仕事がやりたい。と熱量を持って言った。
酒に酔った勢いもあるのだろう。彼らは口々に言った。そして満足げ。
自分は作り笑いをして「そうなんだな」と引き攣りながら言った。心の中では淀んだ空気が流れ込んでいる。
深夜2時。全員が雑魚寝。自分もその内の一人。天井は白く、カーテンの僅かな隙間から月夜が入り込んできた。
心のどこかで他の友人と自分を比べて、眠れなくなっていた。無駄にスマートフォンに触れて気持ちを流そう流そうと必死になるが、眠気は一向に訪れない。
耐えられなくなり、ムクリと起き上がる。雑魚寝状態の友人たちの上をゆっくりと乗り越えて部屋を出た。気分転換に一度、外に出ようと思ったのだ。
スマートフォンに表示された時刻は4時30分。
友人の家族も寝ているから、静かに玄関の扉を開けた。泥棒が家を出るかのように。戸が開いたと同時に目に陽の光が差し込んだ。空は白く、空の頂上にいた月は引っ込んでいた。
友人宅の周りは田んぼに囲まれている。まるで絵に描いたような田舎だ。あぜ道を酒が残っている胴体で抜けていく。田を抜けて、国道沿いへと飛び出す。
意味はない。とにかく不安げな気持ちをどこかへ流し込みたい。そんな思いだけだった。
国道は朝5時前なのにトラックの往来が激しかった。ガタガタと地面を揺らす。しかし、トラックが過ぎ去れば静寂が包みこんで、流しきれなかった不安感がぶり返す。
どうして友人たちと自分を比べてしまうのか。理由は自分でも薄らとわかっていた。友人達は確実に大人へとなろうとしているが、未だに自分は大人になれていないのだ。
仕事に忙しいと言い訳をして、自分の成長なんて後回し。恋愛も金も経験も1つも増えることもなく、また似たような夏を迎えた。親から伝わってくる周囲の変化。それに適当な返事で受け流し続け。
子供の頃から付き合いのあった、あいつら。あいつらもまた大人になっていく。その事実が自分の胸を抉った。
もしかしたら、お盆休みに実家へ帰ることが無かったのはそのことに気づきたくなかったからかもしれない。国道沿いを歩き続けて、大きくため息を吐いた。どうしようもない感情と自分への呆れを表していた。
灰色の壁が視界に入り込む。
とある建物の横を通りかかった。そして、そこにはDVDの文字が大きく掲げられていた。
いつもそこにいた
友人宅の近くを走る国道。その国道に引っ付くかのように、建物が何軒か連なっている場所がある。自分はそこに辿り着いた。そして、足を止めた。
元々はガソリンスタンドだったところだ。自分が小学生の時に廃業となり、取り壊されることもなく、そのままとなっていた。
お客さんが休憩するサービスルームやタイヤ交換をするピット、それに車へガソリンを注入する計量器などが放置されたままだ。
そんな場所に、気づかない内に「DVD」という看板が設置されていた。
自分はその存在に気付いていた。黒い看板に歪なDVDの文字。嫌でも網膜に映るから。
友人宅に行くたび、中に入りたい。そんな気持ちは常に存在していた。
そんな興味を抱いているのに、中に入ることはしなかった。小学生になっても、中学生になっても、そして高校生になっても。そして、東京へ行った。
踏み込まなかった理由、それは単純だ。そんなことをする勇気が無かった。「周りから浮き出る勇気」が無かった。非常に陳腐な理由だ。一歩でも踏み出す勇気は存在せず、またレールから外れる勇気すらない。
そんな事を思い出すと自分の根底が何も変わっていない。そんな事に気付いてしまった。
人々と同じ方向を向く絶大な安心感。果敢に苦難に挑む人々に対して向ける嘲り。そして、変化を望まない汚らしい人生。
そんなのを身に纏った「大人」になってしまった。
でも、周りは自分の意志を持って生きている。
それでも、自分は変わろうとしない。
いや、出来ない。勇気が無いからだ。
それでも、ここ最近になって考えが変わってきた。
そんな大人で良いのだろうか?と仕事場で思うようになった。無機質な白色の光で自分を照らすLEDの蛍光灯の足元で、椅子に座りながら。
面白みもない、平坦な人生。不安感から来る人生への猜疑心。
その猜疑心は仕事場では処理しきれず、通勤電車でも自宅にでも滲み出るようになった。この猜疑心を見過ごすことはできない。どうしたらいいのか。
答えは自分に変化をもたらす必要がある。この気持ちを抑えるには、行動する以外にないのだ。
でも、どう行動すればいいのだろう?今の自分ではその答えを見つけ出せずにいた。
廃墟に掲げられた黒いDVDのロゴを見て思った。どう行動するかじゃない。まずは、一歩が自分に必要ではないだろうか。踏み出さなければ、始まりなんてない。
一歩。DVDのロゴを掲げられているその麓に。行けば、自分の人生に少しばかりの色が加えられそうだ。そう思うと、心が動き出しそうな気がした。
自分がなりたい大人というのは、躊躇いもなく未経験な場所へ飛び込む勇気を持ち合わせている人間ではないだろうか。そうであるなら、飛び込むべきタイミングは今しかない。
数年ぶりに見たDVDのマーク。その一歩を踏み出せば。すり減ったアディダスのスニーカーで砂利を踏み込んで前に行く。
中へ入る
入口はトタン板で出来ていた。周りから簡単に見えないようにするためだろう。
中はとても薄暗かった。広さは畳を縦長に3枚並べたぐらい。その狭い空間に大型の自動販売機が4台並んでいる。見たことがない形式の自動販売機だった。本やDVD、それに大型の商品に特化したものだろう。
自動販売機の中身を見ていく。入口すぐの自動販売機には本が入っている。いわゆるエロ本である。
一冊につき800円からで、なぜか外国人とアニメを主題にした本は1500円だった。
2つ目と3つ目の自動販売機では「大人のおもちゃ」が発売されていた。中身は多様で、値段も3000円程度と自動販売機の値段と考えれば高いな、という印象を抱く。商品の中には女性向けの商品があることも意外だった。
そして4つ目の自動販売機へ。ここは他の自動販売機と比べると商品数は1点だけ。アダルトアニメがポツンと売られているだけだ。
また、自動販売機の真向かいにある壁に何かが貼られていることに気付いた。内容はダッチワイフ、ラブドールの販売についてだった。
購入方法は自動販売機内にある購入権を購入し、指定の支払い方法・発送方法などが入った紙があるので、それに沿って手続きしてくれ。ということだそうだ。
ただ、近くにある自動販売機ではその購入権を見つけることは出来なかった。購入券自体のお値段は1万円。しかも、現金のみの対応。ネット通販全盛期の時代、とてもアナログ的なやり方に見えた。
さて、ここまでの感想を正直に明かそう。
怖かった。
薄暗く、密閉に近い空間がアダルトコンテンツに触れる興奮よりも恐れを生み出し、それが勝った。
足元は非常に乱雑であった。
外から入り込んだ土や草木をはじめ、誰かが買っていったのであろうDVDのパッケージやビニールが散乱としていた。
良い経験だ、った?
狭い空間から抜け出て、白い雲と青い空が覗き見えた時に安堵感が広がった。そして、このハラハラ感を久々に味わえたのがどうも嬉しかった。
小学生の時に、いつもの通学路ではなく1つ外れた小路を歩いたときの感情。そんなことを思い出した。鬱屈として、自分の未来を案じていた先程とは全く異なる。
今の自分が求めていたのは、眼の前の事に集中すること。不安感なんて忘れて、一直線に進むことだった。そう気付いてしまった。
この感情を忘れずに、これからも生き続けよう。そう思えた。
10年以上も存在に気付いていながら踏み込むこともなかった空間。
そこに勇気を持って踏み込んだことで、自分の持つべき視点・考えを手に入れる事ができた。
建物に向かって少し微笑む。もう来ることはないだろう。ただ、気づかせてくれてありがとう。そんなことを思いながら、その場を後にする。
近くにコンビニがあった。そこでアイスコーヒーを買った。飲み込んだ瞬間に胃袋が縮みこんだ。
新たな一歩を踏み込むぜ!そう思って友人宅へ帰る。
と、思っていた途中。とある建物に注目がいった。もうすぐで朝の5時になろうか、という時だ。とある建物から光が漏れ出ていた。霞んだ目で建物に注目する。
その建物には「おもしろ館」という看板が付いていた。
おもしろ館
広々とした空間の隅っこ。
そこに「おもしろ館」と書かれた建物があった。近くをトラックが走り込んでいるのを気にせずに、「おもしろ館」へ近づいていく。
不安感はどこかへ。興味が上回っている。
そこもまたアダルトコンテンツを発売する自動販売機が置かれていた。
ここで思ったことがある。先程の自動販売機と異なり、商品数が多い。そして、眩しいほどに蛍光灯の明かりが強い。
入口すぐの自動販売機には「大人のおもちゃ」が陳列されている他、DVDも入っていた。
隣の自動販売機はDVDがメイン。多種多様な作品が並んでいて、中には5枚組というものもあった。
それにしてもこの自動販売機は重厚感があって、更に鉄柵も付いている。商品の取り出し口は鉄板だ。飲み物の自動販売機だとプラスチックの板であったりするが、この自動販売機は鉄板で動かすだけで「ギー」という擦れた音が出る。
そんな鉄板を動かしていると白い箱が一個置かれていた。
興味が湧いたと思ったら、すでに手元で開けていた。
中身はDVDだった。誰かが買ってそのままにしたのだろう。タイトルを見るだけで「人妻」モノだと分かる。流石に友人宅で見るわけにはいかないので、戻した。
自動販売機への疑問
自動販売機を観察していて思ったことを挙げていこう。
- 一部商品は売れていて、商品の入れ替えが行われている
- 確かな需要が存在している
- 運営元は一体どこなのか
まず1つ目の「一部商品は売れている」についてだが、この自動販売機では一部の商品が売り切れとなっていた。そして、どの商品も古臭さを感じさせない商品ばかりであるということに注目がいく。
前半で訪れた自動販売機では、2010年代で活躍した出演者の人たちが出ているDVDであるとか、商品を紹介する紙が焼けていたりと、どこか放置されている感があった。
しかし、ここの自動販売機ではそんなのを感じさせない。
それに合わせて2つ目の「確かな需要が存在している」に繋がる。
2024年の7月より新紙幣が市場に出回っている。もし、購入者が存在しないのであれば、この自動販売機では新紙幣が使えない。
ただ、とある張り紙が出されていた。
具体的な時期は未定としながらも、新紙幣への対応を匂わせている。つまり、購入者が一定に存在し需要が存在していることとなる。購入者がいないのなら新紙幣に対応する意味がない。
また、売れている商品にも妙な点を感じる。
売り切れている商品をチェックすると「熟女」モノが売りきれていた。
友人宅のある町では高齢化社会に飲み込まれている。高齢者が住人の半数を占めているというのだ。年齢的に近い女性が出演する作品が売れているのでは?つまり、この自動販売機を利用しているのは当地に住む高齢者の、特に男性と推測する。
AmazonやDMMのサービスである「FANZA」を利用すればアダルトコンテンツを入手するのは容易い時代だ。しかし、インターネットに疎い高齢者の男性はこのような自動販売機を利用し続けているのではないだろうか。だから、商品が売れて、補充され続けている。
最後に「運営元は一体どこなのか」である。
自動販売機の下を見ていると、「自動販売機等取扱業者」という内容のものを見つけた。
中段に書かれているのは取扱業者と代表者の名前、そして業者の住所だ。今回は個人情報に繋がりかねないので公開はしないが、住所をGoogleマップで入力すると群馬県の山奥にある業者が表示された。
なぜ関東でもないこの地に、関東の業者が絡んでいるのか不思議ではある。更に下段に書かれている内容は、「自動販売機等管理者」というものだ。ここにも代表者の名前と住所が書いてある。
同じようにGoogleマップに入力すると、この自動販売機が設置されている場所から数メートル先の住所が表示された。つまり自動販売機の真隣にある建物である。その表示された建物について調べたので、簡単に説明しよう。
その建物は平屋の建物で、自分が中学生になるところまで「ドライブイン」だった。
中には食堂やアーケード筐体が置かれていたようだ。それに加えて、本なども取り扱っていたようで「激安!」という看板が設置されていた。しかし、2010年代の中頃で廃業。前述のガソリンスタンドと同様に、その建物は長らく放置されていた。
そして、時は流れて2020年代へ入ると近くの町工場が買い取ったのか事務所として利用されているようだ。
自分もその建物は知っていた。加えて廃業になったことも知っていた。しかし、この自動販売機を管理しているとは思ってもいなかった。消えたはずの魂が残っている。そんな風に捉えた。
なんか楽しそうだなぁって
前述では「大人がどうのこうの」と言って、踏み込んでみたが、ここまで奥深い話になるとは想像もしていなかった。ただエッチなモノが並んでいて、いやぁ子どもの時なら興奮していたでしょうねぇ。という話どころでは無くなった。
自動販売機を後にして、友人宅へ帰る。その道中でも自動販売機について考えてしまった。
たかが、アダルトコンテンツなんだ。ただ、あの場所は未だに需要が存在する。簡単に冷やかしで踏み込んではいけなかった。そんな気がする。
疑問が疑問を呼んで、更なる疑問が浮かぶ。と同時に朝4時に抱えていた不安感が無くなっていたことにも気づく。いや、今はそんなことはどうでもいい。あの場所への疑問が頭を埋めていく。
友人宅へ戻り、玄関を開ける。すると、一人の友人と廊下ですれ違った。「どっか行ってたの?」と聞かれる。
片手には買ってきた温まったアイスコーヒーを友人に見せ、「買ってきた」と言う。
寝ぼけ眼でこちらを見つめて、「あっそう」と言う。そして、自分の顔を見て、「こんな時間にわざわざ出歩かなくてもいいじゃん」と呆れながら言う。
自分は「あーまぁね」と歯切れ悪く返しながら、「なんか楽しそうだなぁって思って」と笑う。