9月5日、東京は神田にある神田明神。の横にある神田明神文化交流館「EDOCCO」
交流館の地下1階、自分は座席に座って登壇して秋葉原いやアキバの将来をちょいと考えている。
上坂すみれさんが出るんですか!という単純な動機でシンポジウムに来てしまったが、果たしてどうなるものか。
目次
シンポジウムですって、奥さん。
懲りない。そう、懲りない。
このサイトを始めて1年がそろそろ経過するところなのだが、上坂すみれさんのライブに行った2024年10月から8月上旬で観覧した舞台「ゲゲゲの鬼太郎」で5回目のイベント・ライブ参加である。
古参勢の人たちには叶わないが、今までライブやイベントに足を向けていなかった自分からしてみれば「参加しすぎ」な感じが否めない。友人からも「また行ったんだ・・・ハハッ」と呆れ笑いもしくはから笑いをブチかまされた。ハハッってなんだよ、ミッキ◯かよ。
それでも人間は興味を持ってしまうと止められない。それは一体なぜか。
楽しいからね!!
ちなみに鬼太郎のときも同じような文言を残している。人間って勉強しないもんですなぁ。
ではここいらで時計の針を戻そう。8月5日の話だ。XないしはTwitterを覗き込んでいると以下のようなポストないしはツイートを見かけた。
【🌟お知らせ🌟】
— 上坂すみれ_official (@uesaka_official) August 5, 2025
シンポジウム「メディア都市のしての秋葉原〜『電車男』から20年、オタクの街としてのアキバを振り返る〜」
特別トークイベントに #上坂すみれ が
出演させていただきます🚃
🗓️2025年9月5日(金)
🏟️神田明神文化交流会館B1階
EDOCCO STUDIO
詳細は👇https://t.co/waqcoJLEEr…
シンポジウムの出演。へぇ、シンポジウム、シンポジウム。そして続いて値段を見た。2000円。安っ!映画館で映画見るのと一緒じゃん!続いて開催日は9月5日。ちょうど1ヶ月前である。
そして入場者数の欄が目に入る。定員100名。へぇー
行くしかねぇか!
写真集やベストアルバムのリリースイベントに応募しても一切合切当たらなかった自分からしてみれば「2000円でトークショーに参加できる」と思えばかなり安いし、100名の定員だけというのはプレミアム感が凄まじい。
行くなら今しかねぇべ!
ちなみにお知らせを見ていた時間はというと、仕事場で眼の前の仕事が嫌になって、気持ちを紛らわすために自分のiPhoneを観ていたときの一連の所作である。つまり仕事を半ばサボってチケットを購入したのだ。うん、だめな社会人である。
Amazon Payを使って秒で購入する。いやー楽しみだ!と思った瞬間に頭の中に直ぐに思い浮かぶ。
シンポジウムってなんだ!?
シンポジウムとは・・・
Google大先生はシンポジウムを以下のように説明する。
特定のテーマについて複数の専門家(シンポジスト)がそれぞれの視点から意見や研究を発表し、聴衆からの質疑応答を通じて意見交換を行う公開討論会
今回発表されたシンポジウムのテーマは「メディア都市としての秋葉原〜『電車男』から20年、オタクの街としてのアキバを振り返る〜」というもの。
インターネット掲示板・2ちゃんねる(現5ちゃんねる)に書き込まれた内容を基にしたラブストーリーである「電車男」が2005年頃にヒット。このヒットを発端に秋葉原がメディアに注目され、一躍「オタクの街」として名が知られるように。そうこうしている内に20年が経過。
この20年間で秋葉原は様々な変化が生じたわけで、「アキバは変わった」とどちらかといえばネガティブイメージがつきまとっている印象だ。なのでシンポジウムでは街の旺盛と減退、そしてこれからを考えるという内容だ。
・・・・・・
いや、めちゃくちゃに真面目なやつじゃーないかい?!
勢いでチケット買っちゃっただよ!?不安感が一気に自分へ押し寄せる。しかし、一定時間悩みこむと頭の中の思考回路に変化が生じた。
まぁ、すみぺも見れるし良いか!
何もかも経験だわさ!となった。いやー興味から動き出す行動力ってマジで怖いね。
神田明神へ行く
今回のシンポジウムは「神田明神文化交流館 EDOCCO」での開催だ。神田明神文化交流館は都内でも有数の神社とされる東京十社の1つ神田明神の中にある。
神田明神は秋葉原駅から歩いて7分ほど、御茶ノ水駅や新御茶ノ水駅からだと5分ほどで到着する。
台風なんてどこへ行ったんですか?と言いたくなるほど、そらは薄い雲が広がり何なら少し橙色の陽が差し込んできて。という天気。

更に暑さも落ち着き払っていて、また数日後に35度近くまで上がるとは思えない空気だった。

そして見えてきた神田明神の鳥居。東京に引っ越してきてもう10年近く経つというのに神田明神には始めてやってきた。

空から降り注がれる陽の光に鳥居を彩る金もきらきらと輝く。

神田明神では縁結び・夫婦和合、商売繁盛・事業成功、勝運・リーダーシップ、除災厄除(厄除け)、開運招福、健康・安産etc…と様々なご利益があるとされている。折角やってきたので、普通にお参りした。

ちなみにお守り専用の自販機もあって「効率的だなぁ・・・」と思ったりもした。
そして写真に写っているのが今回の会場「神田明神文化交流館 EDOCCO」だ。

伝統文化やサブカルチャーなどを体験できる文化体験型施設。中にはお土産やさんもあったりして、何も無い日に訪れても十分に楽しい。のだが、この日は18時で閉館。今回は中を伺うことは叶わなかった。
もういる
到着した時刻は17時50分。そしてそこからお参りだなんだをしても17時55分。開場は18時30分とされていたので、まだまだ速いなぁ・・・と思っていると、
会場の入口横に10名ほど。もういるんかい・・・その中にはワイシャツを着た人も。
あのすいません、お仕事はどうされました?
と職務質問的なことをしたい気持ちを抑えつつ、自分も列に並ぶ。過去のイベントやライブ加えて物販でもそうだが、よくもまあ速く並んで待てるな・・・と感心する。しかも今日は物販とか何にもない今までとは異なる風変わりなイベントだ。それでも時間前に並ぶとは。いやいやすごい・・・
その後、18時30分前に会場内へ入場。自分は前から2列目付近を陣取ることが出来た。
何度か会場内を見渡すと仕事帰りと思える人がチラホラ。ライブやイベントではっちゃけているであろう人たちが見事に普段の生活の姿に可視化されているような気がした。
同志と呼ばれる人たち・・・しっかりと社会に溶け込んで生きてんだな・・・と自分も仕事帰りの癖に思ったのである。
電車男を通して秋葉原を考える
「電車男」は前述の通り掲示板の2ちゃんねるを発端とした恋愛小説であり、そこから映画・ドラマと様々なメディアへ展開された現代で言う「メデイアミックス作品」である。
2005年当時の自分は小学生だ。それでもこの電車男をぼんやりとではあるが覚えている。姉が本屋で電車男を購入してきたところから、この作品を知ることとなる。
一度、小説版の電車男を触れてみたことがあるが、インターネット特有の独自文化というか独特な表現が純粋無垢な自分にはあまりにも脂っこかったようで、読み続けることは出来なかった。
普通の小説であれば人物の会話、地の文、心情の描写・・・などがあってそれらが何ページにも続く。のだが、この電車男は2ちゃんねる特有の空気感を書籍でも表現するため投稿時の雰囲気そのままのようにスレッドの文章が掲載されているのが特徴だ。というか小説というジャンルではないのかもしれない。
シンポジウムの序盤ではそんな電車男を手掛けた出版社「新潮社」の郡司裕子さんが登壇され、出版への経緯を明かしてくれた。
まとめサイトを通じて「電車男」を知り、これを書籍化するために当時の管理人「ひろゆき」と連絡を取ることに成功。出版のオファーを出すがすでに他社が手を上げていたことを知る。電車男を出版したいメディア・出版社は多くあり引く手数多な状態。それでも「新潮社」が選ばれた。
理由としては「パソコン・ネットから離れたメディアでの出版」が良いと判断したからだという。
ここは当時の雰囲気を知るうえで重要なポイントだと思う。2000年代ではまだまだアングラ感というかあまり生活の中にはインターネットが入り込んでいるようなものではなかった。
更に大手出版社は今よりも強い影響力を持っていたはずだ。それがインターネット上でのたかが一般人のやり取りを出版物に仕立て、それが純愛物語として世間に受けた。これは文化のターニングポイントとなったはずだ。
舞台となった秋葉原は電車男のような人が集まる「オタクの街」として注目され始める。それまで別に注目されるようなことがなかった秋葉原が一気に「オタク」色に染まっていく。
ちなみにその時期に近いネットミームは「世間は許してくrえゃすぇんよ」である(ニコニコ大百科より表現を引用)。
自分としてはこれは一種の町おこし的なものだと認識していた。加えて「良いもの」という風に。しかし、聞き手の菊池映輝さん(武蔵大学)の発言で「これを負の面で捉えている」人がいることに少々の驚きがあった。
電気街という空気感が一気にアニメ・マンガ好きの人たちの街と取り上げられ、そこに通う人たちを動物園のパンダを見るかのように面白おかしく消費することを苦痛に感じていた人が存在したという内容だ。この視点は自分の中に全く無かった。新たな一面を知ることになった。
また最近では秋葉原にあった「オタクの街」が徐々に薄れてきているのではという指摘もあった。
確かに秋葉原を歩いていてもAKB48や萌えアニメだなんだと言われていた時代とは異なり、今では商売相手は外国人観光客中心の家電量販店などを多く見かける。これも時代の流れとして片付けるべきなのだろうか。
と思っていると、新潮社の郡司さんが電車男(著者名は中野独人)と連絡を取り秋葉原の現状について質問したというのだ。
えっ!電車男って存在したの?!
という驚きもある中でうろ覚えで申し訳ないが「秋葉原は過渡期にある」旨の内容だった。物語の中心となった人物でありながらも「秋葉原を俯瞰で観ている姿勢」を感じ取れた。
更に「生すみぺ観たかった!」という、あんたオタクの鏡だよ。的な内容や「エルメスに聞いたら・・・」といった、まだエルメスさんと連絡取ってんの?!という驚きの展開が続いた。
序盤から秋葉原のことを憂うつもりが電車男の現在を垣間見た。というか、それだけでも2時間は聞ける。
電車男が「秋葉原」に与えた影響力を考える
次に秋葉原を中心に事業をされている6名の方が登壇。秋葉原のこれからを考えるというコーナーでクロストークが繰り広げられた。40分ほどの時間が用意されていたが6名で話し合うというのはあまりにも勿体ない気がしたが、これまた濃密な時間だった。
それぞれ登壇された方からは「秋葉原を日本カルチャーの中心地に」であったりと力強いメッセージを受け取ることが出来た。
そんな中で意訳的になってしまうが「自己中心的に秋葉原で活動する人とは関われない」という内容の発言もあって、あぁ確かになぁ。と妙に納得してしまった。
自分が始めて秋葉原にやってきたのは2013年。当時でも雑踏の中にアニメの放送についての広告や新発売のギャルゲーというかエロゲーの看板があったり。そして横目に目を向ければメイドさんがチラシを配っていたり。そんな光景が広がっていて「うおい!絵に書いたような秋葉原がある!」と興奮したものだ。
でも、今では商売相手が外国人観光客であると明確に表す家電量販店やショップが軒を連ねるようになって、加えて裏通りに行けば違法感が満載の怪しい店や過度な客引きを行う女性がいたり。
電気街というイメージから死語となったが萌えアニメを好む人達の街に変遷し、今は外国人観光客も入り混じる不思議な街。
でも、元々から秋葉原はそういう街だったのかもしれない。色んな物事が集まって、何か1つが生まれる。そしてまた壊れる。いわゆるスクラップ・アンド・ビルドってやつ。それが秋葉原なのかもしれない。
また秋葉原は従来の固定概念を覆すことの出来る街だという思いを話す人も。特に興味深いのは「神田明神でお酒のイベントを手掛けた」というところ。
そういうイベントって神社仏閣は忌避するような印象があったが、「街全体で盛り上げようぜ!」という感じがして、やっぱり東京の中でも秋葉原周辺って異端だよなぁと思ったり。
その中で「お酒のイベントではお酒好きな声優さんにも参加していただいて・・・」という発言。そんな適任な人・・・
いる・・・近くにいるよ・・・上坂すみれっていう人が近くにいますよ・・・
なんだか妙な空気を感じ取った。ぜひそういう方向で開催してくれたなら嬉しい限り。
上坂さん、登壇です
真面目な話に耳を傾けているとなんだか自分はインテリジェンスな人種になった気分だった。が、しかし「では上坂すみれさんに登壇していただきましょう」という言葉を聞いた瞬間に「あっそういえば、上坂さんを見に来たんだ!」とスイッチを入れ替えた。真面目モードは少し省エネにさせてもらう。
ステージ上に登壇するとステージ上が華やかに。青で彩られて、濃淡が印象的な朝顔の浴衣。
うわぁ・・・綺麗だなぁ・・・と思っていると、中央付近から野太い声で、
「ウォッ!」という叫び声に近い声が轟いた。
声を出したい気持ちはわかる。先程までインテリジェンスなお話が広がっていたとは思えないほど、みんな見とれていた。
話の展開はデビュー当時に経験した秋葉原でのイベントについてのことや今年オープンしたコンカフェ「Twilight Rouge」についてとか。
トーク内容については、普段から上坂さんを追いかけているファンの方が投稿されているブログが詳しいだろうから、ご自身で調べてご覧になっていただきたい。
しかし、この時間は異様な雰囲気だったと思う。
神田明神で神職(神社に仕え、神道の儀式を執り行ったり、神社施設の管理を行ったりする宗教職の総称)をされている岸川さんは「秋葉原はプロレスの街」と話したと思えば、秋葉原の歴史が口から出るわ出るわ。
それに追随するかのように秋葉原での思い出を話す上坂さん。買えないフィギュアをウィンドウショッピング、やっぱりリバティー、お渡し会だとオタクが階段で待っているなどなど。
更には岸川さんが「まだお店に行けていない」と言うと「神田明神先輩としてお店に来てください」と詰め寄るシーンもあったり。神に仕えし人を追い詰めるなんて、とんでもねぇ人だ・・・と恐れ慄く。
30分程度のトークショーの中で一番印象的だったのが、これからの秋葉原について質問された際に上坂さんから出た「誰のものでもない、みんなの秋葉原」「安心で楽しめる場所」というワード。
秋葉原が目指すべき明確なポイントだと思う。まちづくりは新宿や渋谷などでは特定の企業が主導で進めたり、地方では自治体が主導しゴールを目指していくのが主なスタイル。
でも秋葉原はそれぞれがやりたいことをやって、気づけば形になって、そこに人が集まる。もちろんそれには問題が孕んでいる場合もあるだろうけども、それぞれの個性が大きな価値を生み出すような気がする。かなぁ・・・インテリジェンスな人間には程遠い考えしか出ない自分が憎い。
夜の神田明神から夜の秋葉原を歩く
シンポジウムに上坂さん出るなら行きたい!と世間知らずも甚だしい、勢いだけで参加してしまった今回のイベント。
自分にとって秋葉原というのは東京の中でも一番空気が合うような気がする場所でもある。まぁ体の芯にオタク気質があるのが要因なんだろうけども。昨今、秋葉原が置かれている問題を身近な物事として受け止める良い機会になった。
会場を出ると時刻は20時50分。夜の神田明神が煌めいていた。

最寄りの御茶ノ水駅の方面に歩き出したが、一度足を止めた。折角、秋葉原について考えたんだ。秋葉原の街を歩いて駅へ向かおう。
頭の中では日本の街それぞれが抱える問題点をどのように解消していくべきか。そういうのを考えたくなっていた。自分が出来ることはそれだけだ・・・と思いながら。
しかし、約30分後に上坂すみれのインスタグラムを見て「うわぁっ!浴衣キレイっ!」と衝撃を受けて、そんな思いが簡単に吹っ飛ぶことになる。