2021年に「竜とそばかすの姫」が公開されて4年。細田守監督最新作「果てしなきスカーレット」が公開された。
ただ、今回ばかしは公開日から色々と話題が止まらない。それはどちらかといえば悪評ではあるんだが・・・まぁ以前から気になっていたので観に行ったんですよ。
目次
あらすじ
早速ではあるが「果てしなきスカーレット」のあらすじをちょいと見ていこうじゃーん。
父を殺して王位を奪った叔父クローディアスへの復讐に失敗した王女スカーレットは、「死者の国」で目を覚ます。そこは、略奪と暴力がはびこり、力のなき者や傷ついた者は「虚無」となって存在が消えてしまう世界だった。この地にクローディアスもいることを知ったスカーレットは、改めて復讐を胸に誓う。そんな中、彼女は現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。戦いを望まず、敵味方の区別なく誰にでも優しく接する聖の人柄に触れ、スカーレットの心は徐々に和らいでいく。一方で、クローディアスは死者の国で誰もが夢見る「見果てぬ場所」を見つけ出し、我がものにしようともくろんでいた。
映画.comより引用
監督は細田守監督。「時をかける少女」や「サマーウォーズ」、「おおかみこどもの雨と雪」と大ヒット作品を世に送り出してきた監督の最新作だ。
スカーレット役には芦田愛菜さん、聖役には岡田将生さんが起用されている。
この作品の公開日は「2025年11月22日」だ。
公開日から
映画の最新作の大半は「金曜日」に公開される。週末に掛けて多くの人に見てもらうための施策であり、利益を追求するには当然のことである。
今回の「果てしなきスカーレット」もまた同様だった。また勤労感謝の日が月曜日にくっつく3連休という映画公開では最高の条件が揃っていた。
だったのだが、11月22日金曜日に公開されるとSNSを中心に映画レビューが投稿され始め、「果てしなきスカーレット」に対する評価が軒並み低い点数・こき下ろすような投稿が散見され始めた。
内容としては「脚本が酷い」「意味不明」「スピーカー数えていたほうが楽しい」などなど。主にストーリーに関して酷評されているようだった。
実際にレビューサイト映画.comでは2025年11月27日現在で「2.8」だ。これはかなり低い点数だ。
同じくレビューサイトFilmarksも「2.9」となっている。
公開日から酷評なんて・・・と思われる方もいるだろうが、別段何ら目新しい現象ではない。過去にも公開してすぐに酷評されてしまった作品というのは存在する。
例えば
個人的に覚えがあるのはいくつかある。まず最初に「大怪獣のあとしまつ」だ。
テーマとして「怪獣の死骸をどう処分すればいいのか?」というもので、特撮作品の新たな一面を展開出来そうな作品でもあった。
ただ、ファン層が厚い特撮ファンの期待値を大幅に下回る出来だったことで今回のような酷評の渦が生まれてしまった。その渦は普通の消費者をも巻き込んで酷評の道からそれることができなかった。
アニメとなれば「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」も挙げられる。
この作品は「魔法少女まどか☆マギカ」「Fateシリーズ」を世に送り出した制作会社「シャフト」が制作していることで一定の注目度があった。が、起用された声優陣の演技に批判が集中し、複雑なストーリー展開もまた酷評を生み出すきっかけとなってしまった。
新作映画は普段から映画館で見る・目が肥えた人が積極的に「レビュー」することで良くも悪くも作品の行く末が決まってしまう。それは日本だけでなくハリウッド映画やその他の国でも起こり得ること。
では、それぞれの作品が「駄作」の枠に収まるものなのか?というと・・・あまり思わない。前述の2作品は酷評されるほどの出来だったのか・・・?と思うところはある。
「大怪獣のあとしまつ」については特撮ファンが想定・期待していた「シリアスな展開」とは異なって、「ギャグ・オマージュ」がメインの作品だった。ギャグ中心に見ているとまぁ普通に面白い作品だとは思うし、ドラマの「時効警察」が好きな人はかなりドハマリするような作品だ。と思っている。思っている、ですよ!?責任はとれませんよ!?
とにかく、消費者が求めていたギャップをもっと予告編や広告で内容を小出しで埋められていたら防げた話であった。
また「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」についても、声優を務めた人の演技などの批判は致し方ないにしても、映像やストーリー展開にはケチが付けられるような内容なのかなぁ・・・?と未だに思うところはある。また公開前に「君の名は。」が公開されていたことで、作品への消費者の期待値が高かった要因もある。
とにかく、公開日から酷評されることは珍しくはない。また、後ほど評価されるかもしれない。ということだけは覚えておきたい。
ただ、ちょいと状況が異なる
ただ、前述の作品類と異なり「果てしなきスカーレット」の入りが悪い。という話が出てきた。
3連休だというのにネット予約されている座席が少ない。というものだ。みんな「酷評」を見て、観るのを控えているのだろうか・・・
それでも私は細田守監督作品は「バケモノの子」から映画館で見ている。この流れを汲みたくて、酷評をスルーして映画館に向かったんだい。
観る
3連休が終わった11月25日。世間の流れに逆らって私は映画館へ足を運んだ。上映時間は11時50分からだ。

酷評という嵐が巻き起こっている中訪れた映画館は3連休の後ということもあってか落ち着きが広がっていた。
気になる人の入りようだが、チケットをネット予約で購入した際には自分以外に「2人」予約されていた。さて、これが多いか少ないかは・・・あなた次第です!と言っておきたい。
ちなみに自分が入ったスクリーンの2つ隣では「国宝」が上映されていた。
色々と考えてしまう
ネタバレはしないけど、ちょっとストーリーに触れるのでまぁ注意してごらんなすって。ということで、作品の内容について連ねていきたい。
まず最初に申し上げたいのは映像美は凄まじいものがある。まるで実写のような水面や岩が始まりから終わりに掛けてまで続いていく。見ているとこれまでの映像美を築き上げた細田守ワールドがそこにあり、流石だなぁと感心する。
ただ、問題はストーリー部分だ。
この作品のベースにシェイクスピアの「ハムレット」がある。
デンマークの王子ハムレットが父王を毒殺して王位に就き母を妃とした叔父に復讐する物語であり、ハムレットを王女「スカーレット」に置き換えて、更にストーリーに「生きるとは」という哲学的な部分を組み込んだものになっている。
まず気になるのが「果てしなきスカーレット」の上映時間は111分であるが、全体的に説明が少なすぎることだ。とにかく話を淡々と進めてしまうので、間がない。そして登場人物への感情移入が全てオールキャンセルされるような気分になるしと、話が頭に全くと言っていいほどに入ってこない。
王を殺して王位に就いた「クローディアス」はなぜ殺害してまで王位につきたかったのか?また国としての現状がどうなっているのか?そういう点が全てthrough。そのまま今作のメイン会場となる「死者の国」へスカーレットと共に観客もぶっ飛ばされる。
さて、この部分についてSNS上の意見で「ハムレットを見ていたら・触れていたら説明なんて不要な部分である」「元から日本ではなく海外を意識している作品」というものを見かけた。
まぁ確かに「ハムレット」は名作でシェイクスピアは有名な劇作家で、多くの人が知っているものだとは思う。ただ、そういうのは抜きにして作品を作らねばならんのでは・・・?という思いである。
百歩譲ってシェイクスピア・ハムレットのストーリーを踏襲するのはわかる。でも、ずっとなにがしてぇんだ?という感情が湧くほど、ストーリーがボヤぁとしている。ボヤぁをもっと具体的に言いたいが、とにかくボヤぁとしている。
細田守監督作品はストーリーラインがなんとなく把握できるようなものが多くて、そこに例外・驚きが追加されて、作品の完成度が高くなっているような印象だった。ただ、入りからこうだ。ちょっとこの時点で何したいんですか?感がある。
死者の国に飛ばされた後には色々と展開が控えているのだけども、なんか矛盾点が多いなぁ・・・とも思ってしまう。話がまとまっていない・とっ散らかるような印象があるので尚更だ。
あと、キャラクターの完成度が低いようなのが多い気がしてならない。特に看護師の「聖」がそうだ。
こいつがまぁ・・・ストレートな捻りもないような正義感溢れるセリフを吐く。感情の起伏とか無しにずっと同じようなセリフを繰り返す。説教臭いのでそれが嫌悪感を強める。そして行動にもそれが滲み出る。ここでスクリーン内にいた人たちの大半がはぁ・・・と落胆させた可能性がある。
しかしあれだな・・・色々と魅力的なキャラクターを送り出してきた監督の作品とは思えない。どうしてそうなるんだ?と思わず首を傾げたくなるような。そんなのばかりである。
ミュージカル・・・いるか・・・いや、いるかなぁ・・・いやいら・・・
作品の途中途中で「音楽」が登場する。所謂、ミュージカルシーンってヤツだ。
いやまぁ、魅力的なんだろうけど、なんかとっ散らかっているストーリーが更にとっ散らかる感じがして蛇足感が凄まじい気がする。
死者の国での旅の途中でとあるグループと合流する。そのグループ内で民謡音楽に触れるシーンが有る。ここでのシーンが今までの闘い中心のストーリー展開から逸脱して、メインキャラが楽しさに触れるという、「明るさ」を無理に強調するような感じがする。更には急に「ダンス」がメインに引き出され、観客を置き去りにしていく感じがある。
次に似たようなもので聖が唄う曲を聞いて、スカーレットが聖の生きる時代を思う場面がある。いやそれはまぁわかる。「どういう街だったんだろうなぁ〜」って「どんな生活していたんだろうなぁ〜」って思うのは全然わかる。
なのが、急にそこでドラえもんのタイムマシンに乗っている時みたいな映像が流れて、フェイスブックやインスタグラムの「Meta」が作る出来損ないのメタバースみたいな空間にある渋谷にぶっ飛ばされ、聖と2人で踊るというシーンがある。
これは・・・更なる置き去り感が凄まじい。
ただ自分はこう思ってしまったのだが、これまたとある投稿を見かけた。そこには、スカーレットからしてみれば未来の街は争いもない「天国のような」空間であり、「踊り」は復讐心や闘いから離れて、心置きなく楽しみたいというスカーレットの心理状態を指している。というものだった。
ああ、まぁ、そう、ああ、まぁ・・・そうかぁ・・・
そう考えるとそういう場面に見える。映画館内で即座に判断できなかった自分の想像力が乏しい。
ただ、別に渋谷じゃなくても・・・踊らなくても・・・いや、まぁ・・・すいません・・・・
話の展開が
細田守監督の最新作でやりたいことを全てやろうとしていることには目を瞑るとしても、後半も後半の話には正直・・・追いつけなかった。
細田守監督の持つ「死生観」や「生きること」の哲学論に合わせるためにストーリーが組まれていったのだろう。ただそうなると矛盾点が更に浮き彫りになり、登場人物の性格に歪みが出てきて「いやいや、それはおかしいっしょ・・・」というのが当然のようにまかり通るような展開になってしまっている。
なぜ聖が死者の国に来てしまったのか、という展開ももちろん明かされるのだけども、それがどうも付け焼き刃的で「なんじゃいそら」と思ってしまう。いやここを明かすとバッコリネタバレになるので言わないけども、「この脚本でOKを出した人、どうかしてるよ・・・」という感じがする。
交換日記的に多くの脚本家が適当に決められたゴールラインに向かって話をつなぎ合わせて脚本を作ったのであれば納得できるが、これ全部細田守監督が1から終わりまで作ったのでならば「誰か止めるやついなかったんかい」と叫びそうになる。まぁ、是非映画館で見てほしい(急旋回)。
あと、最後にスカーレットが民に演説するシーンがあるが・・・なんか綺麗事しか頭にないのに政治に参加しちゃった(ノω・)テヘ的な感じがして「えぇ・・・」という気分になる。是非映画館で見てほしい(押し売り)。
酷評が生まれた原因というのは「ストーリー」より別にあると思う
しかしなぜこれほどまでに「酷評」が渦巻いているのだろうか?
個人的な考えに今回の酷評が生まれた原因というのは今作の出来が悪かったというシングルショットだけではない、複雑な要因があると思っていふ。
細田守監督が手掛けた「時をかける少女」「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」が積み上げてきた「評価・人気」=貯金を前作、前々作、更には前々々作でじっくりと切り崩していき、今作でとうとう全て使い切った、見限られた。というのがベースにあるだろう。
「バケモノの子」から細田守監督が脚本を担当していくのだが、それぞれの作品でどこか展開がおかしかったり、ストーリーの違和感というのがファンの間で注目されてきた。
それでも人気3作を見てきたファンは「次に期待」というマインドでい続けて「まぁ次は大丈夫でしょ・・・」「あそこは面白かった」と諦めや評価できるポイントを探し続けた。
また前作の「竜とそばかすの姫」までは青臭さを感じながらも多数の人に刺さるような青春的ストーリーであったところも、「そういう話が観たい」とサマーウォーズ頃から好きになった人たちをなんとか持ちこたえさせていた要因だった。
ただ、今作はこれまで細田守監督が作り出してきた青春的ストーリーから大きく逸れた人間の汚さ・生命論的なストーリーにシフトしてしまって、青春的ストーリーを求めていた人・ファミリー層の中で持ちこたえていた人たちが一気に離れてしまった。もうそうなると誰も支えてくれない。だからSNS上で「酷評」されてしまっても、フォローしてくれるような人は少ない。更に映画料金を払ってまで酷評されている作品を見たいと思う人なんていない。だから「酷評」されて「駄作」の枠に押し込まれてしまった。
細田守監督がやりたいことを出来ているのは過去3作の大ヒットがあるからで、これから先「サマーウォーズ」のような青春的ストーリーを作ることは多分・・・ないんじゃないかなぁ・・・と思っている。だって、それでも数億円を稼げるのだから。
哲学的なストーリーはとても魅力的だ。何故なら大衆に刺さるようなストーリーにはない、どこかカルト的な人気を呼び起こしやすい、ある種の「多面的要素」を孕ましてくれる。
「あのシーンはこういう意味で・・・」「監督はここでこういうメッセージを・・・」的なやつだ。
実際に今作でもそういうのを唱えているファンの人がいる。そういう人は一生掛けて細田守監督を守り続けてくれるはずだ。ただ、そういう人たちのいる枠からはみ出していくらか世間に迎合できる作品でないと、折角の才能がカビてしまう、更なるカルト的な監督になってしまう。才能あふれる人がそんな狭苦しい枠に押し込まれるのはとても惜しい。ただ、それで居心地の良い状態なのであれば、素人が口出しをしても無意味である。
まぁ日本アニメには細田守監督以外にも優秀なクリエイターはいっぱいいる。燻るクリエイターが世の中に出てもらうためには・・・だから、これが望ましいのかもしれない。
もうどうしたら良いんだ
映画を見終わった瞬間に「なんだかなぁ」と思ってしまった。
矛盾点・違和感・・・頭の中に残り続けるこの感触。
TwitterないしXを見てみると、「この作品を理解できない人は教養が足りない」という投稿を見かける。
青々しくて感情的で、それでも愚直なストーリーを見せてくれた細田守監督の作品が、どうも面倒な映画ファンの栄養素になっているように見えてしまう。
はぁなんだかな・・・もうどうしたら良いんだ。帰りの電車内。「果てしなきスカーレット」のストーリーは良いように終わったが、自分の中ではモヤモヤが消えないまま。
もう無かったことにしてくれたなら。それで幸せに成りたいものだ。

